退学願 −−退学エントリ

退学願を提出することにした。
https://twitter.com/brsywe/status/667616754676318209
人生において退学を経験する人は屹度稀だと思うのでめずらしくブログを書くことにする。
はてなダイアリーはてなブログ名物であるところの退職エントリを真似つつなるべく気持ち悪い感じで書きたい。

入院まで

大学に進学しろくに勉強もせずエロゲに没頭、就職活動もうまくいかず大学院進学を決意したのがまだ4年前半だというから驚きである。
院試では大学准教授にアカハラを受けたがそれは別の話である。
読書は中学の頃から好きであり、大学院で専門書を読みつつそれこそ社会の実益にかなわないことをするということに漠然とした憧れがあった。
ろくに勉強もしていない割に大学院に進学できる程度の頭があった自分には感謝している。
卒論が卒業の要件ではなかったことから論文は執筆せず。民法・社会法科目で苦しめられていたことから4年次後期まで単位集めには苦労した。共産党嫌いもこの頃からである。

入院

人生初の入院が大学院である。
待ちに待った研究室配属。自分の机を与えられるというのは気持ちがよいものだ。
研究室にこもれる準備はしたものの家から研究室が遠く、かつ終バスも講義の直後だということがあり研究室にこもる生活にはならなかった。
専門書・論文はかなりの数読み込んだとは自負するところだが、読んで理解した段階で満足して頭の中で整理ができない。
ゼミでは他の学生の書いた論文案を的確に批判する能力こそ身につけていたものの肝心な自分の論文が進まない。

そのまま就職活動が進み、2年次の夏頃に内定。晴れときどきお天気雨の絢音様を毎日拝めていたおかげだと思っている。絢音様万歳。
内定先に確認を取ったところ、修士号を得るか否かは採用に影響せず、更には入社後の待遇にも一切影響がないとのこと。この頃修了の意思、否、意志が削がれたのは云うまでもない。
それから就職までの半年余り、エロゲに費やす。修士論文は1年次の中間レポートから進まず。留年・在籍したまま就職という異例の措置となった。

就職

仕事自体は大して忙しくないもののストレス負荷は大きく、帰ってきてから論文は読むが論文執筆ができないという状況が続いた。
間もなく2年の休学期間が過ぎる。3年目からは学費が要る。決心はついた。

退学

ひとえに怠惰が生み出した結果である。誰でも容易に予想ができた。
論文を読むのが好きでも自ら書くのはできないと気付くのが遅すぎたようだ。

今後

弊社のシステムで大学院に行けることもあるそうなのでそれを使って大学院に改めて進み、修士号は取りたいと考えている。