信仰心と云ふもの

信じない人は地獄に堕ちると説く宗教は多いが、あれは結局信者が満足を得る以外の効果はあまり無いよね。
信心がある→信仰しているので対象ではない
信心がない→地獄に堕ちると脅してもそもそも其れすら信じない


信心がないとしても「神」らしきものに対する漠然とした恐怖心を抱くのはあり得るから効果がないと迄は言い切れない。


かく云う予は「既定である運命」以外の絶対的な存在を原則として認めないので結局今ある宗教で信仰している宗教は無いと云うことになる。無神論者ではないが現存する宗教(尤も定義については諸説ある)を信仰して居ない。今此処でブログを書くと云うのも「既定」である。何時、誰が、何をするか と云うのは各人の意思に仮託した、予定通りの現象でしかない。まぁ神の存在証明と同じくこれを否定するのは至難の業だと思われる。
寺社仏閣、教会等に、同年代の人より多く足を運ぶのは荘厳な気配に入り、自らを落ち着かせ、物事をよく考える為。信心によるものではないと思われる。
――と云う訳でうちにはくれぐれも宗教勧誘来ないでくださいね。信教の自由があろうと他人の私生活に介入する「布教」は認められない場合があることを統一教会エホバの証人生長の家等、うちに布教しに来た方々は深く認識して頂きたい。